出発して3時間で支流ホワイトリバーの合流地点にたどり着いた。その名の通り、水の色が白い。白色の砂が多く混ざっていると推測された。小型の浄水器ソーヤーミニのフィルターには頻繁に砂がつまり、こまめに清掃しなくてはいけなかった。
合流地点では雲の隙間から太陽の光が差していたが、ホワイト川の上流では大雨が降っているのが見えた。
水量はさらに増え、流れが速くなったのが明確に感じられた。上陸してラーメンの昼食。ついでに小麦粉と水、イーストを混ぜてピザ生地を作る。分量は適当だが、日本でたまに作っていたのでその感覚を思い出した。
雨が降り出したので急いで再出発。岸沿いの木々をどんどんと追い越した。快調!ただそんな中にも落とし穴があった。
ユーコン川はこの周辺からいくつも分岐し、多くの中州を形成していた。どの支流を選んでも行き着く先は同じだ。ある時、分岐点の真ん中に差し掛かり、右の水流を選ぼうとした。僕は右へ船先を向けて懸命漕いでいた。しかし、思うように右へ進まない。というか、景色が変わらない。
ふと振り返ると、すぐ後ろに大きな倒木があった。僕は実は左の流れに向かう水流の上にいて、右へ漕ぐことによってカヌーがフェリーグライドで水流を横切っていたのだ。ユーコンが広すぎて、あるいは水の流れが大きすぎて気づいていなかった。
フェリーグライドの状態ではカヌーは船先が向いている方向ではなく、横に進んでいく。すなわち、カヌーは自分が見ていない方向に進んでいるのだ。そこに障害物があってぶつかれば……。危なかったとしか言いようがない。
中州地帯を抜けて行った。夕方、2艇のポリ艇が川を遡ろうとしていた。近づいてハローと挨拶。2人はアメリカ人でジョンとレイ。少し上流から分岐している水路を目指していた。
「その流れはたぶん少し上流で見たよ。でもこの流れじゃ少し大変だと思うよ」
「そうか。じゃあ今日は諦めるしかないね。ムースなんかの野生動物が見られるかもって期待したんだ」
ジョンはライターでありカメラマンだという。しばらく一緒に漕いで別れた。
そろそろキャンプをしようかと思っていたら、また土砂降りになった。小雨になった頃に上陸。支流が流れ込む場所で湿地だが、テントが張れそうな一段高い場所もある。焚き火の跡があったのにもどことなく惹きつけられた。
いつものようにタープを張り、焚き火を起こそうとしたが、なかなか火が付かない。息を吹きかけて火を育てようとするのだが、火が安定せずに途中でどうしても消えてしまうのだ。湿地帯なので体はドロドロになり、1日漕いだ後で疲れもピーク。息を吹きかけていると目の前が暗くなり、前に倒れそうになった。
よく薪を観察してみると、途中かなりの熱量になったのに薪が全く燃えていない。おそらくこれは日本でいうナナカマドのような木なんだろう。ナナカマドは7回かまどに入れても燃えない、という語源なのだという。実際、樹皮の感じなどよく似ているように思う。薪を変えたら、あっという間に火が付いた。
昼に仕込んだピザ生地が上手く発酵していたので、チーズやマッシュルームを入れて包み焼きにした。遠くをジョンとレイが通過していった。
目の前の支流でドボンと魚が跳ねる音がした。浅瀬の上にできる駆け上がりだ。ベイトリールなのでスピナーに大きいガン玉を打って投げると、一発できた。約50センチのシーフィッシュだった。「雨上がり」「瀬の上の駆け上がり」がこのユーコン旅で2匹のシーフィッシュが釣れた条件だ。
午後11時、日がだいぶ傾いてきた。水面でまたザバーンと音がした。また慌てて竿をつかんだが、それにしても大きな音だザバーンというか、ドボーンというか、魚ならば超大物だ。水面を観察してみるとそれはビーバーだった。十メートル少々泳ぐと、尾で水面を叩いて水流に潜るのだった。
切れた指の血は止まっているようだった。ターピングテープで一晩固められた指はいささか冷たくなっているようでもあった。まだ動かしては傷口が開いてしまいそうな気がしたので、指を気にしながらパドリングした。
青い空に太陽が昇っていく気持ちの良い朝。いつもの通り、1時間ほどかけて荷物を一つ一つパッキングし、出航した。マディな川が延々と続く。iphoneで音楽を聴きながら下った。サカナクションのアイデンティティとか、くるりの宿はなし、とか。
取りこぼした10代の思い出とかを掘り起こして気づいた
これが純粋な自分らしさと気づいた
どうして時が経ってそう僕は気がついたんだろう
見えなかった自分らしさってやつがわかり始めた
(サカナクション・アンデンティティ)
今までなんとなく聞いていたこの曲はこんな歌詞だった。
純粋な僕の10代は大好きな吉野川を破壊しようとする行政に怒り、ユーコンに憧れるはみ出し者だった。その後、いろんな妥協や世の中に溶け込むすべを学んでここまで来た。
ただ、それでよかったのか。
私設のキャンプ場にテントを張る。料金は忘れた。
宿はなし 今日も川のそば 暮れ行く夕凪を眺めれば
(くるり・宿はなし)
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ここで突然、趣味の刃物の話になるが、ユーコンに持って行ったのは昨日怪我の原因になったノコギリの他、ガーバーのゲーターフォールダー、コールドスチールのスペシャルフォースシャベル、レザーマンのマルチツールの4点。
ゲーターフォールダーは小物を切るにも、魚をさばくにも、小さな薪を割るのにも過不足がないナイフで、普段のキャンプ、川遊びの時からお気に入りの一本だ。
コールドスチールのシャベルは今回のために買ったもので、ブレードに刃が付いているという不思議な一品だ。ロシアの特殊部隊が使うシャベルを元にしたという。ロシアの護身術、システマでも使われるのだという。
ブレートについた刃はユーコンでも大活躍だった。苔だらけの森の地面に綺麗なトイレ穴が掘れるし、薪を集める際にも木の枝ぐらいは落とせる。熊と出くわした時にも何か武器を持っていれば少しだけ安心だ。実際は熊の前では何の役にも立たないんだろうけど。
晴天。川幅はさらに広がり、中洲の数もさらに増えた。
12時半、公営のキャンプ場があるフォートセルカークに着いた。対岸に大きな支流ペリー川の流れ込みがあった。
かつて交易で栄えた村であり、古い建物がたくさんあった。丸太でできた小さな家が多い。それぞれ年相応に朽ちているが、そのままにされており、自由に入ることができた。
大草原の小さな家たち。
今日はここで泊まるという安田さんと別れて出発した。
太陽が泥色の川を照らしてた。遠くに浮かんでいる大きな雲に向かって進んだ。
「風の先の終わりを見ていたらこうなった。雲の形を真に受けてしまった」
奥田民生 さすらい
カーマックス以降、川地図には”Good Camp”の表示がめっきりと減った。丁度良い場所に地図に記された場所がないなら、自分の目で良いキャンプ地を見つけなければならない。
川の両岸は茂みが多く、平坦な場所が少なそうだし、クマに出会うリスクも高そうなので、河原の広い中洲が真っ先に候補に上がった。
砂利の河原に上陸。ペグが打ちにくいの嫌う人もいるが、ずっと僕は広く見晴らしのいい河原が大好きなのだ。ペグがわりに大きな流木で2本の支点をとってタープを張った。流木のポールを立てて、前の2点は再び地面の方向にアンカーをとる。これでタープがシェルター型になり、横からの雨も防げる。
ビールを飲んでほんの少し酔っ払い、フライを振った。悪くない筋を流していると思うのだが、グレイリングは食いつかなかった。カーマックス以降、釣りは難易度を増しているように思えた。
薪を追加しようと、のこぎりで長い流木を切った。しかし旅にも慣れてきたせいか、この時はいつもしている手袋をしていなかった。そんな時に限って、手を切ってしまうのだ。切ったのは右手の人差し指。奇しくもノコギリは切れ味抜群で海外のキャンパーにも自慢していたシルキーのゴム太郎。切り口は狭いが、奥には深そうだった。
カヌーピープルでスコットが言っていたことを思い出していた。
「アクシデントっていうのは、大抵バカなことをした時に起こるもんだよ」
ビールを飲んで、しかも手袋をせずにノコギリを扱い、またそれを荒野でやってしまったことがバカなことだ。
切れていない、そうきっと切れていない。そう心の中で唱えて自分をごまかして、ファーストエイドキットを取りにいった。そのまま指を動かさず、マキロンで消毒し、バンドエイドを貼り、非伸縮のテーピングテープでぐるぐる巻きにした。傷口を妙に弄らなければ、きれいにひっついてくれると僕は信じた。祈った。